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広島高等裁判所 昭和53年(く)3号 決定

少年 Y・Y子(昭三五・一一・二○生)

主文

原決定を取り消す。

本件を山口家庭裁判所下関支部に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は少年作成の抗告申立書中の抗告理由記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

所論は要するに、原決定の処分が著しく不当であると主張するものである。

そこで、一件記録を精査し、かつ当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、本件は、少年が、昭和五二年四月末不純異性交遊等により高校を中退したのち、保護者の正当な監督に服さずに家出を繰り返して家庭に寄りつかず、その間犯罪性のある人と交際し、あるいは行きずりの男性と性交渉を持つなど自己の徳性を害する行為を続け、このまま放置すれば、その性格・環境に照らして将来風俗犯等の罪を犯す虞れがある、という事案である。少年は、中学卒業時までは格別問題はなく、むしろ温順な目立たない少女として家庭・学校生活によく適応していたが、高校中退を契機として極端に生活がくずれ、短期間の家出・外泊を繰り返し、昭和五二年一○月六日ごろからはA子と共に約二か月家出して北九州方面を遊び歩き、その間に知り合つた男性の世話になるなど気ままな、場当りの日々を過していたことが窺われ、こうした急激な生活のくずれを阻止し、少年の健全な育成を計るためには、先ず好ましくない友人との接触を断ち、内省の機会を与えることが急務であつたと認められるのであつて、少年を中等少年院に送致することとした原決定の意図は十分理解しうるところである。しかし他面、少年が高校を中退するに至つたのは、昭和五二年四月の高校二年生当時、輪姦事件の被害者となつたことが校内の噂になつたためで、当時服装が華美になり異性に好奇心を抱きつつあつた少年に多少の責任があるとはいえ、全く同情に値しないとはいえない事情が存し、この際の心的外傷体験が、その後の情緒不安定の大きな要因となつていることが明らかであるところ、少年自身もようやく自覚して積極的に職を求めて働くようになつていたところを緊急同行状によつて収容されたものであり、その虞犯性はまださほど強度であるとは認めがたく、家庭は健全な勤労生活者の家庭であつて保護能力が劣つているとも断じがたいのであるから、少年の健全な育成を計るため、短期処遇課程とはいえ収容保護に踏み切ることは、いささか早急に過ぎ不当であるとの感は免れない。むしろ家族の協力をえながら、調査官による適切な指導助言を加え、少年の自覚を促し自力更生を見守つたうえで、最終処分をすることがより妥当な措置であると判断されるから、少年を中等少年院に送致する旨の処分をした原決定は、結局著しく不当であるといわざるをえない。論旨は理由がある。

よつて、本件抗告は理由があるから、少年法三三条二項に則り原決定を取り消したうえ、本件を原裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 谷口貞 横山武男)

参考一 抗告申立書

抗告理由

私はぐ犯事件により審判の結果右記(中等少年院(一般短期処遇勧告)送致)のように決定されましたが、このたび家出をして家庭に帰つてから今までのような家出、無断外泊、良くない友人の誘いなどにのらないようにまじめに働くつもりでデパートの抽選券の商品引替所で働いていましたが家庭裁判所からの呼び出しがあり、山口鑑別所へ送られる事になりました。鑑別所でいろいろ今までの行動を反省し外見(髪型)も鑑別所ではどうする事もできませんでしたから家庭に帰つて美容院できちんとしようと考えていました。これからの生活も悪い点は改めていこうと思つていました。けれども審判の結果、右のような決定になりました。鑑別所に入つたのもはじめてで今までのような生活は改め、まじめにやつていける自信はありますので寛大な御処分をお願いいたします。

参考三 少年調査票〈省略〉

参考四 鑑別結果通知書〈省略〉

編注 受差戻し決定(山口家下関支 昭五三(少)二七号 昭五三・三・三○保護観察決定)

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